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| 2005年8月20日号 このメールマガジンはHTML形式でお送りしています。オンラインでご覧ください。 |
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ごぶさたしております。更新が遅れて申し訳ございませんでした。このたび、アッピ〜ルの姉妹店として『JOB』が4月30日よりオープンいたしました。スリムサイズの名刺の他、カラーバリエーションも豊富。アッピ〜ルともどもよろしくお願いいたします。
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新作名刺紹介や製作情報などをご紹介 |
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あまり知られることのないデザイナーの裏話を紹介 |
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関西ならではの物事やお店など他の地方にはない関西の文化をご紹介 |
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発行者のひとり言、時勢ネタ批評、体験談など幅ひろい話題をご紹介 |
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| タイトルの部分をお好きな文字で活用できます。たとえば、趣味仲間のサークル名や個人事業の会社名など使い方は様々。また、自分自身のアピールポイントをロゴにできます。オリジナリティあふれる名刺で印象づけましょう。 |
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| 名刺交換はビジネスシーンの始まり。自分の印象を名刺にこめてインパクトをあたえたいものです。シンプルだけど目立っているこだわりの名刺を中心としております。こだわりの名刺が次のビジネスに広がるかもしれません。 |
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前回も書かせてもらいましたがWebの話をしたいとおもいます。我々がホームページ制作に携わったのは4〜5年前になります。それまで紙の印刷専門のデザインをしていましたが、ホームページ制作への参入はしていませんでした。「これからはホームページ制作が主流になるだろう。」と予測はしてるものの、ホームページ制作の基礎知識がほとんどなかったことから仕事にはなかなか結びつきませんでした。
お稽古ごとのスクール雑誌で、あるパソコンスクールの広告を担当することになりました。そこは少し特殊なスクールで、パソコンに関わる知識を80くらいの講座に分けられていて好きな講座をチョイスして受けれるというものでした。車の免許の筆記講座のように開講時間にあわせて通えるのでホームページの基礎を学ぶにはいいスクールだなと思いました。そこで相棒の上杉に「こういうスクールがあるよ」と伝えたところ賛同してくれ、一度説明を詳しく聞きにいくことになりました。スクールに伺って詳しく聞くと、通常のコースの他にホームページ制作に関するプログラミングの基礎を学ぶWebプロフェショナルコースがあることを知り、そのコースに上杉が通うことになりました。
プロフェショナルコースで教えていただいた先生が変わった経歴の方でした。プログラミングの達人と言われている人なのですが、海外の海で活躍する遠洋漁業の漁師さんです。(と言っても現在はほとんど海には出られていないそうです)講義が終わってから上杉が先生とスクールの近くの飲み屋に行き(講義がある日はほとんど飲みに行ってたみたいです)先生から聞いた話を紹介しますと。
先生は、水産大学を卒業され遠洋漁業の会社に就職された後、あえて現場つまり遠洋イカ釣り漁船の船長を希望され船長として1隻の船の全責任を負う立場として海に出られたそうです。遠洋漁業の漁師は、一般的には中学を卒業してから漁船に乗り込みたたき上げの過程でいろんな事を経験しながら船長に就任するそうです。
当然、大卒の先生が経験した事がない経験を積みそこから養われた勘というものがあり一例を挙げると遠くの海の方を眺めて「海の色が違う」等という事を言い、実際その海域で漁をするとすごい大漁になったそうです。先生には、当然たたき上げの経験からくる勘はなく、海の色の違いなどもまったく分からなく漁獲量においてぜんぜん歯がたたなかったそうです。
その現状を打破するために先生がしたことは、各海域の漁獲量が上がるポイントのデータベース化でした。長いたたきあげの実務経験からくる勘とは何か? それは、経験した事を各個人が覚えていて前とほぼ同じ状況時に対処出来る情報を各個人の抽斗のなかから引っ張ってくる、その抽斗の中の情報量の多さ豊富さではないのか。つまりそれはデータベースである。という考えに基づきいつどんな時にどんな天候の時にどうのような季節の時に魚が獲れるのかを当時はパソコンがなかったため電卓を使いそのうち電卓がパソコンに変わりパソコンを使ったデータベース化の過程でプログラミングを覚えられたそうです。
データベース化が進むにつれて先生の船の漁獲量は飛躍的に上がり終りには他の船長達から「お前の船について行ってもええか?」と言われるまでになったそうです。その後1隻の船の船長から何隻かのグループの船団を指揮する立場に昇進され、業界では「漁業とコンピュータを結びつけた男」と高く評価され今では漁業組合のいろんな会社の顧問に就かれ高収入を得られているようです。パソコンスクールの講師は趣味でやっておられるそうです。
誰に教えられることもなくまた誰に強要される事もなく直面した問題に独創力を持って挑んだ結果、日本の漁業全体の漁獲量を押し上げる結果となったのでしょう。そういった経歴の講師に指導していただいたおかげで、プログラミングの重要性が分かりホームページ制作時にホームページ作成ソフトを使わずにプログラム手打ちで作成する事を我々のホームページ作成時の基本にすることにしました。
ここ数年、印刷物よりもWebの仕事の比率が増えてきました。まだ生まれたばかりの媒体だけに日進月歩の変化をとげています。その変化でクライアントの要求も変わってきますので、情報や研究はかかせません。大容量のデータ送信が可能になってきてることから、数年後はムービーや動きのあるエンターテーメントなものとなっているかもしれませんね。
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●ポン菓子屋
冬場になるとポン菓子屋なる人が独特の機械を引きながらやってきます。生米を適当にビニール袋に入れて持っていくと、機械の中に米を入れてます。レバーのようなものをぐるぐる回していると「ポン!」という音が鳴るとポン菓子が出来上がる。素朴な味の冬の風物詩でした。 |
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これからの季節、祭や花火大会などでよく出店を見かけるようになりますね。みなさんの土地ではどんな出店があったでしょうか? 私の記憶の中で変わったものをいくつか紹介します。
10円玉を水に落とすとゆらゆら揺れながら水底に落ちていきますね。それを利用したすごくシンプルでおもしろい出店がありました。台の上に水が並々と注がれた水槽にコップがしずめられていて、そのまわりにはたくさんの10円玉がころがっています。おじさんに20円玉を渡すと10円分だけ返されます。その10円玉を水面から落とし、中のコップにみごと入ればオレンジの粉末で被われた巨大特製の水飴をもらえます。失敗したら普通の水飴でした。簡単そうでなかなかうまくいかないものでした。安いので何度も挑戦してしまいかなり使ってしまっていた記憶があります。
あと想い出深いのが「東京コロッケ」。看板に釣られて行ってみたらコロッケどころかなぜかパチンコ台が置いてあります。おじさんにお金を渡すとその分のパチンコ玉を渡されます。パチンコ台の穴やチューリップに数字が書いてあります。実はこの数字がコロッケの数を示してるんです。東京コロッケというのはビー玉大の小さなコロッケが串に刺しているもので最低で6個、最高8個は刺さっています。みんな8個を狙ってパチンコに励みます。楽しんだあとのコロッケがなんともおいしくて、ソースが子供心をくすぐりました。関連サイトや他の地方の人に聞くと大阪オリジナルの出店のようです。最近もやってるらしいのですがパチンコはすでにやってなくて看板がわりだとか…。
出店といえば、縁日を思い浮かべますが小学生の頃に下校しているときに怪し気な出店が出没していました。おやじがひとり何やら怪し気なものを手に取り、不思議な手品を披露しています。一瞬にして手にある10円玉が消えたり、絵柄がいつのまにか変わってしまう手帳だったり好奇心旺盛な子供達がそのタネを知りたがるような小気味いい会話です。お小遣いを奮発して買ってはみたもののタネは「ナーンダ」っていうものばかりでした。
明日から夏休みだ!っていう日の下校の時に、道ばたで毎年なぜか学研社の「科学と学習」を売っていたのです。当時のこの雑誌の人気は絶大なもので、その付録に魅了された子供は多かったはずです。すぐに買いたいと思うところですが、「科学と学習」は月刊誌で年間契約での購入でしたので子供の一存では買う事ができません。急いで家に帰って契約書か何かをもらって買ってもらった記憶があります。しかし、今の時代じゃ考えられませんよね。学校の正門の横でどうどうとセールスしているんですから(笑)
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ちなみに私の漫画デビューは4コマ漫画。「タケノコの田楽くん」パンツを履いた奇妙なタケノコの話でした(笑)このあとクールな冷蔵庫や落ちぶれたスターのヒトデなどシリーズ化していました。 |
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日本を誇る文化のひとつに「漫画」があります。生まれてからすでに空気のように存在していた感じがします。子供の頃から大好きで今も「漫画」を愛読しています。私の世代は藤子不二雄、赤塚不二夫、石森章太郎先生など「トキワ荘」のグループの洗礼をうけた方が多いことでしょう。彼等が生み出したキャラクターが今もいろんな形で愛され続けていることはすごいことだなと思います。
手塚治虫先生が映画的な手法を使ってコマ割り表現したことで「漫画」をドラマチックなエンターテーメントに仕上げたと言われています。手塚以前の漫画が面白くなかっいとおもいがちですが、なんのなんのとても面白い。「のらくろ」や「冒険ダン吉」など戦前からの人気作品を子供の頃に復刻版で読んでいたのですが、トキワ荘キャラに負けないくらい好きでした。ストーリーは牧歌的で戦争色の強いものですがあくまでも明るく、絵も今のポップなイラストに通じるタッチです。「冒険ダン吉」でバナナで作った団子が出てくるのですが、とても美味しそうで大人になったらバナナ団子を腹一杯食べると思っていました(笑)
人気漫画がテレビでアニメ化することは今も続いていますね。今はどうだかわかりませんがアニメのイメージで原作を読んでみると「エエッ」と驚くものがたくさんありました。たとえば「天才バカボン」なんかはテレビでやってるものは面白さの20%くらいしか引き出せていないとおもいます。なぜかというとテレビでは出せないような表現やエグさがギャグになっていたり、漫画でしか使えないような画期的なギャグだったりするからです。
思春期に入るかどうかの頃、松本零士先生に出会いました。ただその出会いはブームになった「宇宙戦艦ヤマト」からではありません。ブームになる以前から知っていて「男おいどん」という四畳半で下宿する貧乏学生の話に夢中になっていたのです。先生の魅力的な絵や作風もことさたながら、その底にある「男とは〜」という反骨精神に勇気づけられて影響も受けていたようにおもいます。大人になってからはウンチクものを読む機会が多くなりました。料理や食材を扱ったものは、ストーリーの中にくみこまれている歴史的な背景や問題定義だったりするものが勉強になって知識として得られることが多かったりします。自分で料理するときに試してみたりすることもありますよ。
ときどき、簡単な漫画を仕事で描く時がありますが、読む立場と描く立場はぜんぜん違ってとても大変なことがわかります。ストーリーを考え、絵も描く。ストーリー漫画だと映画をまるまる1本作るのと同じなんですから。数ある漫画雑誌の中で、読者から支持を受けなければ生き残れない現在の漫画家。そういう漫画業界であるから水準の高いものができて世界から注目を得るんでしょうね。どうでもいいことですが、最近の漫画のキャラクターがアニメ絵や少女漫画風なのが多いですね。個性がない気がします。 |
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